出店の約8割を占める「ハードアンドグリーン」。
今でこそ1,000店舗以上と拡大しましたが、
当初は社内外から猛反対を受けていました。
それでも出店を貫いてきたのは、
地域に貢献するという強い信念があったからです。
1977年、商いとは何か、企業とはどうあるべきかを考え、流通の近代化が遅れている「住」の分野で、世の中のお役に立ちたいという想いから、ホームセンター事業に参入しました。そのホームセンターのチェーン化を目指し、まず力を入れたのが出店数の拡大でした。当時は、“ホームセンターといえば大型店”が業界の常識でしたが、それでは市街地などの人口の多い町にしか出店できません。企業の都合で出店場所を決めるのではなく、お客様の近くに出店していくのがあるべき姿です。そのためには小商圏でも成り立つ小型店の開発が必要でした。私たちの他にも小型店づくりを試みた企業はありましたが、すぐにうまくいかなくなりました。その原因は物流システムを自社で構築しているかということと、もう一つは品揃えにあります。膨大な数の商品を、小型店に詰め込めるだけ詰め込み、売れるものなら何でも扱うという我流のやり方でした。売り場は雑然とし、それでいてお客様のニーズに応えられる品揃えはできずに、支持を失っていったのです。
一方で、私たちコメリの社訓には「先人の業績を謙虚に学ぶ」という言葉があります。ですから、当時の社長であった捧賢一は、ホームセンターの先進国であるアメリカの企業に学び、基本に忠実に経営を進めてきました。それは品揃えについても同様です。コメリの創業の地、新潟県三条市は全国的にも有名な金物の産地であり、そこで商売をしてきたことで多くの会社ともご縁をいただいていました。また捧は農家の生まれであり、幼い頃から手伝いをしてきたことで農業の知識もありました。そして辿り着いたのが、「金物」と「園芸・農業」を主軸に、住生活用品をコンパクトにまとめた小型専門店「ハードアンドグリーン」だったのです。
どう世の中の役に立てるかだ
しかし、同業他社からは“商品回転率の悪い金物と、鮮度管理が難しい植物を一緒に扱うなんて、儲かるはずがない、すぐに潰れてしまうだろう”と冷笑されました。その反応は社内も同じで、ビジネスとして成り立つのかを不安視する声が上がりました。そうした状況においても、捧の考えが揺らぐことはありませんでした。そして全従業員を前にこう諭したのです。「商いで大事なのは、『儲かる、儲からない』ではない。『コメリはどういう形で世の中のお役に立てるか』であり、そのことによって生かされ成長できるのだ」と。
そして今、「ハードアンドグリーン」は1,000店舗を超え、全国各地でサービスを提供できる体制が整いつつあります。今、地方は高齢化や企業の撤退により衰退が進んでいますが、私たちはこの業界無二の店舗ネットワークを活かして、物販だけでなく、住宅リフォームや住生活のサポート事業など、暮らしの様々なお困りごとを解決するためのサービスを全店でスタートさせています。今後私たちが担うべき役割は、ますます拡大していくことでしょう。世の中のお役に立つため、私たちはより一層邁進していかなければなりません。